俺が古茂田さんに執着しているらしいとぼんやり気付いたのは、割と最近のことだ。
『声』を受けてすぐ、ジアースに乗る前に2人で話しておきたいと思った。
…正直、どうして彼女なのか自分でもよく分からない。母親の影を求めているの
は確かだと思う、でもそれだけでは無いとも感じている。
そして俺は今、古茂田さんのピアノを聴いている。
『どう…したの?突然』
『古茂田さん、ピアノ弾くんだろ』
―古茂田さんのピアノ、聴いときたいなと思って。
口先の出任せも、死を約束された俺が言うともっともらしく聞こえたのだろうか。
古茂田孝美はあっさりと俺の言葉を信用した。
華奢な指が、鍵盤の上を滑る。俺は詳しくないので曲名は分からないが、
綺麗な曲だった。
ピアノを弾く古茂田さんの横に立って、そっと白い横顔を眺める。
少しやつれた頬に、黒い髪が掛かっている。
陳腐な表現だが、古茂田さんはピアノに似ていると思う。
白い肌に黒髪がよく映える。
(白いワンピース、とか似合うんだろうな)
ふと、旋律が途切れる。
「…コダマくん」
顔を上げる。一瞬だけ目が合って、すぐに逸らされる。
「その…大丈夫?」
なにが、と出来る限り無気力を装って返す。
伏せられたまつ毛が震えるのを眺めながら、あ まつ毛長いな、なんて
会話とは関係のないことを考える。
古茂田さんは膝の上に置いた拳で、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「だって…次のパイロット」
「うん。俺、だね」
古茂田さんは顔を曇らせて聞き返す。
「…怖くないの?」
「戦うこと自体は怖くないよ。死ぬのは…まあ、怖くないって言ったら嘘だけど」
死、という単語にびくりと肩を震わせて、古茂田さんは顔を上げた。
「俺はね、古茂田さん。世界を守るとか実感が湧かないし、
何故守らなきゃいけないのかも分からない。この世界がそんなに
価値あるものとは思えない。でも俺なりに色々考えて…仕方ないって思った。
命は使い捨てられる為に生まれるんだよ。俺もそのひとつだってだけだ」
俺は白と黒の鍵盤を見つめながら淡々と続けた。
「て言うか、価値あるとかどうとか言えるほど世界に関わってないし」
「…画面越しに見る世界なら、傷付かないだろ」
「コダマくん…」
古茂田さんは酷く悲しそうな顔をした。そんな顔をさせたい訳じゃないのに。
もどかしい。
重くなった空気を振り払うように、俺は古茂田さんに笑いかけた。
「大丈夫。ちゃんと戦うから」
窓の外では、しょわしょわと蝉が鳴いている。
「コダマくん」
鍵盤を叩く指を止めて、古茂田さんは声を震わせた。
「わたし、わたしね、死ぬのが怖くない訳じゃないの」
「でも…自分は死ぬんだ、って思ったら、世界が違って見えた」
「ううん、違う。世界の本当の姿が見えた、って言うのかな」
「本を通して見るのとは違う、リアルな世界。たくさんの大切なもの」
「きっと、世界はもっとずっと前から、私が生まれたときから、
美しくて…愛おしいもので溢れていたんだわ。私が気付かなかっただけで」
「コダマくんにも、見て欲しい。気付いて欲しい。私たちの住む世界のこと」
「お願い。仕方ないなんて、そんな悲しい理由で戦わないで…」
古茂田さんは顔を上げて、まっすぐに俺を見た。が、その瞳の深さにたじろぐ間
もなく、またすぐに下を向いてしまう。
「ごめんなさい。傲慢だよね、こんなの」
古茂田さんは軽く頭を振って、また俯いた。頬を涙が伝っていた。
自分が彼女に惹かれた理由が、ようやく分かった気がした。彼女も自分と同じよ
うに、世界と関われずにいたのだ。媒体が違うだけで、2人ともフィルターを通
して世界と繋がっていた。
でも、彼女は目を開いて、世界に向き合おうとしている。受け入れようとしてい
る。多分俺は、俺の諦観を古茂田さんに否定して欲しかった。
何故だろう、その瞬間に、俺は恋を自覚した。
「…コモ」
「え」
身を屈めて、古茂田さんの頬の雫に唇を当てる。うっすらと塩の味がした。
「…え、ちょ」
「あ」
狼狽した古茂田さんの声に、漸く今自分が何をしたのか気付いてさあっ、と
血の気が引く音がした。
「あ、え、」
「こ、コダマく…」
「や、あの…ごめん」
数分間人外語の応酬を繰り広げて、漸く俺は謝罪の言葉を口に出来た。
柄にもなく頬が熱い。
「う、ううん…大丈夫」
彼女の方も頬を赤くしてまた俯き、気まずい沈黙が流れた。
「その…イヤ、じゃなかったから」
「…え」
蚊の鳴くような声だったけれど、はっきりと聞き取れた。
それは、その、つまり。勘繰っても、いいのだろうか。
古茂田さんの表情を伺う。相変わらず赤い顔をして俯いている、
が嫌そうな素振りは感じられない。
―今、言わないと駄目だ。
そう思った。
…俺には、世界の美しさやら尊さやらはまだはっきりと見えないけれど。
きっと、自分を包む世界の愛おしいものの中に、古茂田孝美…コモも含まれてい
る。それだけはたしかなことだと思う。
「コモ」
顔を上げたコモの頬はまだ赤くて、こちらを見上げる黒々とした瞳と濡れた目元
がとても綺麗だと思った。
「俺、コモに対してずっとモヤモヤしてて…多分、そう結論付けることで楽にな
りたいだけなんだろうけど、…あ、真剣じゃないって訳じゃない、けど説明した
かったから、その…ああ、何が言いたいかっていうと、」
言いたいことが上手く纏まらなくて、らしくないと内心で舌打ちする。
(ああ本当に、俺は人と関わるのが下手だ)
呆れられたかな、と不安になってそっとコモの顔色を伺うが、相変わらずの真剣
な瞳がそこにあった。まっすぐこちらを見詰める視線が、「女」を意識させる。
「俺は…コモが好き、だ」
…この状況でそれを言うのは卑怯だと、頭では分かっていた。
「…ごめん。ずるいよな、こんな時に」
コモは何も言わない。
俺は情けなくなって俯いた。
「コダマくん」
え、と顔を上げる前に腕を掴まれて引き寄せられ、状況を把握出来ないまま唇に
柔らかい感触があった。
「…!」
多分、十秒にも満たない時間だったのだろう。
でも俺には酷く長い時間に感じられて、有り得ないくらいの至近距離にある
コモの閉じた瞳を呆けたように見詰めるしか出来なかった。
コモの顔が離れても、俺は呆然としたままだった。
「…ど、同情でこんなこと、しないからね」
小さな声でそう言って、コモは真っ赤になって俯いてしまった。
ピアノ椅子に座って恥ずかしそうに身を縮めるコモが、急に年相応の女の子に
見えて。堪らなく愛おしくなって、俺は思わずコモを抱き締めていた。
「〜っ、こ、コダマくん?」
「…嫌?」
更に赤くなって動揺するコモに、探るように聞き返す。
…もっとも、俺の顔も赤かったけど。
「い…いや、じゃない…」
コモはそう呟いて、ゆっくり立ち上がって俺を抱き返した。
身長差のせいで、俺が抱き締められているような形になる。
何のために戦うのか、何のために死ぬのか。
俺にとって、命を対価にして守るべきものが何なのか。
個々の命に大した違いは無くて、命は使い捨てられていくものだと思う。
そこに意味を求めてしまうのは、俺の傲慢だろう。
でも。
俺が死ぬことによって、コモが少しでも長く生きられるなら。
俺が死ぬことによって、俺とコモを取り巻くすべてを守れるのなら。
「コモ…その、上手く言えないけど、俺」
「大丈夫、わかるから。大丈夫だよ」
小さい子供をあやすように、コモは俺の背中を撫でた。
静かで幸福な気持ちに満たされる。
「俺、戦う。戦える。」
「…うん」
視線を合わせる。俺が見上げる形になっているのがちょっと悔しい。
あと一年あれば、自分の方が高くなるだろう。それだけが残念だと思う。
しかしこの状況でなければ、おそらく自分はコモに恋をしなかった。
柔らかな黒髪に顔を埋めると、何だか懐かしいような匂いがした。
「…なんかコモ、ママみたいだ」
「ふふ…そうかしら」
笑い合って、もう一度キスをした。ちゅ、と音がして気恥ずかしくなる。
コモの唇は柔らかく、冷たかった。
庭では、しょわしょわと蝉が鳴いている。
もう夏も終わると、思った。
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